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最高裁判所第二小法廷 昭和30年(あ)2244号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人青柳長次郎の上告趣意は末尾に添附のとおりである。

所論にかんがみ職権によって調査するに、本件記録によれば、被告人は強姦致傷の犯罪事実があるとして起訴されたのであるが、第一審判決は、適法に証拠調をした証拠によって、強姦致傷ではなく傷害の犯罪事実を認定した。即ち要約すれば、被告人は肩書住居において使用人として井原秀子(当時二二年)を雇入れ家事手伝等に従事させていたが、昭和二七年七月三〇日午前二時頃、夜業を終えて就寝する際、二畳の間に就寝中の秀子の寝姿を見て劣情を催し、幾分かの暴行をも辞せずして押強く同女に情交を求め、強いて同女との姦淫を遂げようと決意し、秀子に近づき、隣室に就寝している妻子の動静を気にしながら、秀子のズロースを引きぬいて同女が「悪い悪い」といって拒んだのにそれを聞き入れず、同女が隣室の就寝者に知れることを虞れて余り強く抵抗しないのに乗じて「静にしろ」と押強くいって同女の身体にのしかかり、同女の明示的な承諾がないのに勝手に自己の陰茎を同女の陰部に押しつけてその膣口附近に射精する等の暴行を加え、因って自己の保有する淋菌含有精液を同女の膣口内に滲透させて同女に治療日数約一五日を要する淋菌性子宮周囲炎を感染せしめ以て傷害を与えたと認定し、強姦罪の構成要件である暴行脅迫はその程度が相手方の意思の自由を奪うか又は抵抗を排除するに足るものであることを要すると解すべきところ本件被告人の暴行は右の程度に至らないものと認められるので強姦罪は成立しない旨判示し、被告人の右所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法二条三条に該当するとして、被告人を懲役一年(二年間執行猶予)に処した。これに対し検察官及び被告人双方から控訴の申立があった結果、原審は検察官の控訴趣意第一点即ち第一審判決が被告人の本件暴行は強姦罪の構成要件である暴行の程度に達していないものと認定し、従って被告人の本件所為を強姦致傷と認定しなかったのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認がある旨の主張を容れて、何ら自ら事実の取調をしないで刑訴四〇〇条但書により、第一審判決を破棄し、訴訟記録及び第一審裁判所において取り調べた証拠のみによって、直ちに被告人は、要するに「……秀子を……強いて姦淫せんことを決意し、同女が『人殺し』と叫ぶや右手にてその口を塞ぎ『動くと承知せんぞ』とおどかし、同女の上に馬乗りとなって強く押え付け……その反抗を抑制して陰茎を同女の陰部に押し付けて……淋菌性子宮周囲炎を感染せしめたものである」との強姦致傷の事実を認定し、刑法一八一条等を適用して、被告人を懲役三年(実刑)に処したものであることが明らかである。控訴審において、前記のように傷害の事実を認定した第一審判決は事実を誤認したものとしてこれを破棄し、自判によって右強姦致傷の事実を認定処断するには、控訴審は自ら事実の取調を行うことを要し、さもなければ第一審に差し戻すべきものであること、当裁判所大法廷判決(昭和二六年(あ)第二四三六号、同三一年七月一八日言渡、集一〇巻七号一一四七頁)の趣旨に徴し明らかである。されば原判決はこの点において刑訴四〇〇条但書に違反する違法があって、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

よって同四一一条一号、四一三条により主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官池田克の後記少数意見があるほか裁判官全員一致の意見である。

裁判官池田克の少数意見は次のとおりである。

控訴裁判所においては、被告事件につき事実の取調をなす必要があるかどうかは刑訴法上その裁量に委ねられているところであって(刑訴三九三条)、事後審ではあるけれども、法律上認められた証拠資料にもとづき自由に合理的な法律判断ないし事実判断をなすことができるものとされているところである。刑訴三九四条も四〇〇条但書も、いずれもこのことを可能ならしめる規定に外ならない。されば、検察官が刑訴三八二条にもとづき控訴趣意書に、訴訟記録及び第一審裁判所において取り調べた証拠に現われている事実であって明らかに判決に影響を及ぼすべき誤認があることを信ずるに足りるものを援用して控訴の申立をなし、控訴裁判所も亦右の記録及び証拠だけで判決することができるものと認めるときは直ちに自ら被告事件につき判決をすることができるものと解すべきであって、この場合においても、なお、いわゆる事実の取調を必要とするものと解すべきではない。

本件は、あたかも右の場合に相当する。原判決には、刑訴四〇〇条但書に違反する違法はない。

(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

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